「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を久しぶりに読み返してみた。
村上小説の中では、かなり読みやすい部類ですね。
以下、印象に残った言葉。
「自由を奪われた人間は必ず誰かを憎むようになります。」
「たとえ君が空っぽの容器だったとしても、それでいいじゃない」
「もしそうだとしても、君はとても素敵な、心を惹かれる容器だよ。自分自身が何であるかなんて、そんなこと本当には誰にもわかりはしない。そう思わない?それなら君は、どこまでも美しいかたちの入れ物になればいいんだ。誰かが思わず中に何かを入れたくなるような、しっかり好感の持てる容器に」
「君はもっと自信と勇気を持つべきだよ。だって私が君のことを好きになったんだよ。いっときは君に自分を捧げてもいいと思った。君の求めることならなんだってしてあげようと思った。熱い血がたっぷり流れている一人の女の子が、真剣にそこまで思ったんだ。君にはそれだけの価値がある。ぜんぜん空っぽなんかじゃない。」
私たちはこうして生き残ったんだよ。私も君も。そして生き残った人間には、生き残った人間が果たさなくちゃならない責務がある。 それはね、できるだけこのまましっかりここに生き残り続けることだよ。たとえいろんなことが不完全にしかできないとしても。
相変わらず、胸に響く言葉の数々。
主人公の多崎つくると、高校時代の4人の同級生、アカ、アオ、クロ、シロが織りなす物語。
多崎つくるのイメージは、私の中ではスピッツの草野マサムネさん。
「僕はつまらない顔をしている」っていうセリフをいかにも言いそう。
後半のクロがつくるを励ますシーンがとてもいい。
人生の迷子になってしまって自信をなくしているつくるに「あなたには価値がある」とキッパリと丁寧に告げるクロ。
クロの言葉は、聞いていて気持ちがいいくらい力強い。
このコロナ禍で、誰しもが、落ち込んだり、不安になったりしてる。
そんなときに、こんなふうに信頼できる誰かから「あなたは価値のある大切な存在なんだ」と励ましてもらえたら、どれだけ力になるだろう。
誰も先が読めない今の状況で、理不尽なこともあるし、憂鬱な気分にとりつかれることもある。
人と人とが直接会うことが難しい今、でも必要なのは、誰かからの温かく力強い言葉なのかもしれない。
思い出話をひとつ。
30代の始めごろ、メンタルが内向的になり憂鬱な気分に支配されていた時期がありまして、半年くらい精神ドン曇りの日々を過ごしてました。
家事や育児はこなしてたし、仕事もそつなくしてたし、友達とは笑顔で話せてたし、外から見たら誰も気づかなかっただろうけど。でも心の中では毎日「人生疲れた、いつまで生きればいいんだろう」と感じながら、なんとか毎日をやり過ごしてました。
そんなある日、片付けをしていて、アメリカに正規留学する前に1か月ほど通っていた語学学校の仲間からもらった寄せ書きのメッセージカードを発見。ほんと偶然に見つけて、10年ぶりくらいに開いてみました。
「ユカと会えて超楽しかったよ!」
「ここで会ったのも何かの縁。日本でも会おう!」
「お互い頑張って卒業しような!」
「ここで会ったのも何かの縁。日本でも会おう!」
「お互い頑張って卒業しような!」
感謝や励まし、再会を願う言葉が並ぶ中、目に飛び込んできたのは、留学仲間のひとりが書いてくれたメッセージ。
「あなたのその性格は本当に宝物だと思います。つらいときもその宝物を捨てないように頑張ってください」
もらったときには完全に読み流していたのに、10年後の私を励ましてくれる何かがそこにありました。そのときの私は、自信をなくしかけて、生きる意味をなくしかけて、宝物を部屋の隅に追いやっていた状態。でもカードの中の18歳のしゅんすけ君が、私の元気さに価値を見出して、その宝物を大事にしろと書いてくれてた。
もちろん、この言葉ひとつですぐに元気になれるほど物事は単純ではないけれど、でも浮上していくきっかけのひとつになったことは間違いない。
しゅんすけ君、私の中にある大切なものを気づかせてくれてありがとう。
私が10数年後に救われたことなんて、彼は知る由もないだろうけれど。
そんなことって結構ありそう。
あなたが伝える何気ない一言。今の誰かを救うかもしれないし、もしかしたら10年後の誰かを救うかもしれない。
だから、温かいメッセージを伝えあいましょう。