父とアルコールと食道がん

日々のこと

10年前に亡くなった父の話です。

 

父は食道がんで亡くなりました。

がんの宣告から亡くなるまで、約1年。

食べ物がうまく飲み込めないという症状が出ていたのを、自分の中でしばらく我慢していたようで、まず母が異変に気付きました。

母から「お父さん最近食べ物飲み込みにくいみたいなんだけど」と相談を受け、「えー?ストレスじゃないの?」と軽く考えていた私。

やっぱり何かおかしいと、病院で診断を受けた時には、ステージ3。

母から電話を受け、ひとしきり泣いて、その日からネットで食道がんを調べまくりました

あらゆる知識を叩き込んで、お父さんを食道がんで亡くされた娘さんのブログを読んで泣いて、食道がんから生還された男性のブログを読んで勇気づけられて、だけどやっぱり最後に戻ってくるのは、食道がんの怖さ。

ほかのがんに比べると、食道という臓器は、むき出しになっている分、転移がしやすくて、
すい臓がんと並ぶくらい予後が悪いのが特徴。


食道がんの原因は、おもに喫煙と飲酒です。食道の粘膜を刺激するようなことを恒常的に行うことで、リスクが高まるとのこと。

父は喫煙は一切しなかったけれど、お酒は飲む人でした。

物心ついてからの私が知っていた父は、毎日晩酌はするけれど、楽しく飲んでいた人。たまに外で飲んで酔っぱらって帰ってくることはあっても、翌日にはすっきりした顔で起きてきて、普通に仕事に行く人。

それが定年を境に、少しずつ変化していきます。

役所を定年退職した父は家で過ごすようになり、それまで家事を一手に背負っていた祖母は少しずつ家のことや自分のことができなくなりました。

母は昔から仕事一筋。父より帰宅が早かったことがないくらいに。

妹は就職したばかりでいっぱいいっぱい。結婚予定の彼氏もいる。

そして私は実家を離れて金沢に住んでいる。

 

祖母の介護や家事が、父ひとりの肩にのしかかってきました。

私を含め、ほかの家族は、自分の生活のことで頭がいっぱいで、父が置かれている立場に思いを馳せることもなく。もちろん「大変だろう」と思うことはあったけど、離れている私には、どうすることもできず。離れていることを言い訳にしていただけかもしれないけれど。

介護の大変さを訴える父に対して「食事を食べさせるくらい何が大変なの?一日中家にいるのに!」と言う母。

父と母の仲も険悪になっていきました。
(もともと温厚な父に対して、気性の荒い母です…我が家の場合)

父の酒量が少しずつ増えて、日中から飲むようになって、母の目を避けて隠れて飲むようになって、気付いた時にはアルコール依存の状態。

ただ、依存といっても、家族に暴力をふるうでもなく、暴言を吐くでもなく、静かに静かに、自分の内部を痛めつけるように沈んでいく飲み方。


アルコール依存症には山型飲酒サイクルというものがあります。

飲み始めると歯止めが効かなくなって飲み続け、そのうち体が受け付けなくなり、自己嫌悪に陥り、もう飲まないと決めて、しばらくそれが続くものの、また何かのきっかけて飲み始める。そして歯止めが効かぬまま・・の繰り返し。ときには何日もお風呂に入らないことも。

そんな父を見て、激怒する母。

激怒され、さらに悪化する父の精神状態。

「これは父のせいじゃない。病気がそうさせてるんだ」と、母と一緒に金沢でアルコール依存症の相談窓口を訪ねて、精神科医に話を聞いてもらったこともありました。担当してくれた精神科医は、ご自身のお父さんもアルコール依存症による精神疾患を抱えながら亡くなったとのことで、ピアカウンセリングのようで、とても心が軽くなったことを覚えています。

でも父の状況は一進一退。

少し良くなったかと思えば悪化。

そんな中でもおばあちゃんの面倒は見ていた父。
「おばあちゃんを殺して、俺も死ぬ」
切羽詰まった言葉が父の口から出てくるようになりました。

父の絶望。母の怒り。助けを求める妹。力になれない金沢の私。


そんなときに、決行した両親+祖母の新潟から金沢への引っ越し。

新潟で生まれ育った両親は、以前から「老後は雪の少ないところに住みたい」と願っていました。私の家の近くにちょうどいい物件が見つかって、すでに購入済みだった両親の新居。


アルコール依存症で、うつも併発しているような状態で、新しい土地へ引っ越しするのが果たして吉と出るのか凶と出るのか。まったく予測がつかなかったけれど、このまま新潟で状況がひどくなるのを待つのはやめよう、と。


結果的に、予想以上に状況が好転しました。

金沢に引っ越してきたら、おばあちゃんの入所先がすんなりと決まり、新潟にいたころのように、父が世話をしなくてもいい状態に。

父自身もこれが変わるチャンスと思ったのかもしれません。
お酒を断つために、相当な努力もしたと思います。

次第に、かつてのような社交的で、本を愛し、クラシック音楽を愛し、スキーが上手で、私の誇りだった父が戻ってきました。

あの激動の数年はなんだったのか、というくらい突然に落ち着いた父の症状と、突然に訪れた家族の平和。

新天地金沢では、地域行事に精を出し、たくさんの新しい友人ができ、さまざまなことに声をかけてもらうことで忙しく動き回り、小学生スキー教室にボランティアとして参加し、夫婦でコンサートに出かけ、孫に慕われながら、笑顔で過ごせるようになりました。


しばらくして、金沢で施設に入っていたおばあちゃんが96歳で亡くなりました。
2日に1度はお見舞いに通っていた父。

おばあちゃんを天国へ見送って、今後こそ本当に好きなように時間を過ごしてもらいたいと、そう思っていた矢先。

食道がんの宣告を受けたわけです。



あの、アルコールで命をつないでいたような時期がなければ・・・

そんなことも何度も思ったけれど、今となっては、すべてが過去のできごと。

大変な思いもしたけれど、その分金沢での最後の5年が宝物のようだったから。

あの頃よりずっと穏やかになった母と、今では笑って思い出話をすることができる。
「あの頃、すごかったよね~(笑)」と。



コロナの自粛で、家飲みが増えていると思います。

ストレスを抱えている人も多いと思います。自分の体と相談しながら、楽しいお酒を飲みましょうね。飲酒が習慣になっている方は、たまにお休みの日を入れてくださいね。

父親をアルコールに起因する食道がんで失った娘からのお願いでした。

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