面白くなかった校長先生の話

日々のこと

小学校時代の思い出話。

私が通っていた小学校では毎週月曜朝に全校集会がありました。1年生から6年生約600人が体育館に集まって校長先生の話を聞くところから1週間が始まります。

校長先生は壇上に立つと、「では座禅を組んでください」と児童に指示。

私たちは言われた通り、全員座禅を組んで校長先生の話を聞くわけです。

 

校長先生は、故事成語や格言を書道で書いてきて、それを見せながら言葉の意味するところを児童たちに話します。当然小学生には難しい言葉ばかり。

座禅を組んで「艱難汝を玉にす」と聞いたところで、足がしびれてくるのを我慢するのに気持ちを持っていかれて、正直小学生にはまったく面白くないわけです。座禅させられる意味も分からなかったし。

でも今になってみると、暑い日も寒い日も体育館で座禅を組んだあの時間や経験は、とても懐かしい記憶として思い出せます。

そして、校長先生が教えてくれた言葉のいくつかを覚えていて、その後結構好きになっていたり。

 

校長先生の話はわけわかんない、と当時は感じたけれど、意味がつかみづらいからこそよかったのかもなぁ、と。

 

ネットの進化とともに、ますます分かりやすさが強く求められて、いろんな表現が平易になっている気がします。出し手は「分かりやすさが大事」と簡単な言葉を使い、受け手も分かりやすい表現に慣れてしまっている。あるいは、分かりやすくないと理解できなくなってしまっている。

それってもしかしたら、とても危ういことなんじゃないかと。

なんでこんな言葉に簡単にだまされるの?とか、なんでこんな安直なポエム調に感動するの?とか、なんでこんな稚拙な自己啓発本が売れるの?とか。

もちろん自戒も込めて。

 

幼くてそのときには理解できなくても、記憶のどこかには残っていて、それが大人になったときに意味を持つことだってある。

でもそれは、出す側が、受け手を信頼することが根底にあるのではないかと。

 

あの校長先生は子どもたちの芯の部分を信じていたんじゃないかなーと今になって思うのです。

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