娘たちのアメリカ留学 2021現在

日々のいろんなことにかまけているうちに月日があっという間に過ぎてしまった。さて。

上記の記事を書いてから約2年が経過。その間、アメリカでは新型コロナが世界でも群を抜いて大流行し、Black Lives Matterが大きく湧き上がり、大統領選があり、さらにはAsian Lives Matterが起こりと、大きなニュースが目白押しでした。長女次女ともにアメリカで暮らしているため「とにかく自分の身は自分で守ってね」と伝え続けた期間でした。離れている親ができることは、むやみに心配することではなく、子ども自身の生きる力を信頼することと改めて痛感しています。

そんな落ち着かない中ではあったけれど、長女は無事大学を卒業。次女は2年課程を修了し別の大学にトランスファー。それぞれ状況が変わったので、2年前から現時点(2021年5月)までの流れを書き記しておこうと思います。

長女、数学&統計学で博士課程に進学

長女の大学の卒業式はYouTube上で行われました。よりによっても感染者が多かったNYだからしょうがないよね。

さて、この長女氏。専攻は応用数学+統計学。卒業後はアメリカでのエンジニア職を夢見てたため、日本での就職活動はおろかボストンキャリアフォーラムすら行ってませんでした。そこにコロナが大流行して、世界的に就職市場が悪化。

私自身の就職氷河期がよみがえります。米国の大学(一応パブリックアイビー)を卒業し、意気揚々と凱旋帰国したものの、「お前なんかいらない」とあちこちから邪険にされた記憶。合同説明会にサラ金やパチンコ屋や地元スーパーばかりが並んだあの悲しい時代。何とか生き抜いてきた氷河期の子どもがコロナ就職難直撃とはなんの因果かと。

まぁいいでしょう。私が「組織には依存しない。自分の力でなんとかする」というマインドを持てたのも、就活時代に組織からさんざん邪険にされたおかげ。当時の組織側の偉い人ありがとう。おかげで強くなれたよ。

話がそれました。

そんなわけで卒業後に行く当てもなく、ニート確定と思われた長女。指導を受けていた教授から「卒業後は何をするんだね?」と聞かれ「いや何も決まってないんすよね」と答えます。そしたら教授「なら博士課程に挑戦してみたら?」と声をかけてくれたそう。

いやちょっと待ってください。我が家は次女も留学中。高校生の息子も米国大を希望してる。どこにそんなお金があるのかな?

と、ここで初めて知ります。アメリカの大学の理系博士課程の学生は学費全額免除で生活費分の給料が支給されることを。学士から修士をすっとばして博士に行けることを。

長女氏、短期間で教授たちの推薦を集め、自己PRを書き、もろもろの試験を受け、奇跡的に合格切符を手にすることができました。現在Ph.D課程に在籍している学生の名前はネット上からも確認できます。驚くのは中国人留学生の多さ。日本人全然いない。数学って国際的にも日本が得意とする分野だと思うんだけどな。もっとみんな米国の大学の博士課程を目指したらいいのに。長女はとりたてて頭がキレるわけでも数学が得意なわけでもありません。地方の進学校で3年生まで陸上しながら、学校の勉強についていってた普通の女子。長女が行けるなら、相当数の学生が狙える気がします。

運も大いにあるでしょう。人との出会いは運命を大きく変えます。だからこそよき場所を目指すというのは大事になってきます。

とはいえ今後どうなるかは分からない。Ph.D取得まで最短でも5年かかるし、授業・研究・TA・RAなど超絶ハードなので大学の期待に応えられなければキックアウトの可能性も大。常に「プロジェクト死ぬ。またテスト。ミーティングの嵐。マジやばい」というLINEが来てるので、5年持たないかもしれない。一方で「今日の手作りご飯~」とか「5キロ走ってきた」とか「8時間は寝てる」と、しっかり健康管理しているようなので、特に心配もしてません。彼女の人生、何が起ころうと楽しく眺めていようと思います。

次女はミシガン州の州立大に編入

「Cotteyにあと2年いて、Cotteyで大学卒業してもいいんやで」という周囲の誘いを振り切り、ミシガン州の州立大にトランスファーした次女。

トランスファーの願書は4つの大学に出し、すべての大学から合格通知をもらいました。その中の一つは私の母校 Binghamton University。長女もここを受かっておきながら行かなかったという。まぁ娘たちからしたら、母親(私)とすべて同じルートを辿るというのも面白くないとは思うけれど。

さて、4つのカードを手にして、どこに行こうか考えます。場所(州によってカラーが全然違うので)、大学の規模、そして何より学費の総額。Cotteyはアメリカの大学の中ではかなり安い部類に入ります。学費・寮費・食費をすべてあわせた額が、東京あたりで一人暮らししながら大学通うより安い計算。編入先も学費の高いところは避けたい。破産する。

出願するにあたり、在籍していた大学で高GPAを叩き出しておくと、合格通知とともに奨学金のオファーが来ます。「これだけあげるからウチにおいで」というお誘い。もちろん出願先大学のレベルが高くなればなるほど、もらえるチャンスや額は少なくなるけれど。

さらに、決めかねて迷っていると、後から「まだ決まってないみたいだけど、ウチに来るなら$〇,〇〇〇あげるよ」と追加のオファーが来たりします。「待ってるからぜひ来てね」という手書きのカードまで送ってきてくれるところも。いったん合格を出したあとは、いかに自分の大学に生徒を集めるかが大学の命題となるので、熱いメッセージが手元に届くのがこの時期です。

そんな中ミシガン州の大学に決めた次女。けっこう大きい額の奨学金をゲットしました。おかげでCottey 時代とさほど変わらない学費負担で済むことに。バンザイ。

専攻はアートの中でも、photographyに絞った模様。自分のやりたいことが一番だし、これからの時代、アートやデザインのスキルは、今まで以上に重要な価値をもたらすと思うので、きっと彼女も彼女らしい人生を歩んでいくのではないかと。

面白いのは、Cottey時代日本人留学生は次女一人だけだったのに、2万人規模のミシガンの大学でも日本人が誰もいない(らしい)こと。ここまで同胞と出会わずに留学生活を送れるってすごいなと。やっぱり私の時代よりも確実に日本人留学生は減ってるんだろうな。あのころより留学費用が高くなっているのは間違いないけれど、日本人が外に出ていかなくなったのはとてもさみしい。

次女がCotteyに入ったばかりのころ、英語もしゃべれず何も分からない彼女に、いつも親切に接してくれた子がいました。「優しすぎて神様のような子やねん!」と何度も次女が話してくれた子。その彼女、4年間Cotteyで過ごし、卒業後の進路にハーバード大学の博士課程がフルスカラシップで決まったとのこと。ハーバードは頭脳だけじゃなくて人格も見るんですね。

原点はやっぱりCottey

原点はやっぱりCotteyです。娘2人と私で話をすると、毎回必ず「留学のスタートがCotteyってベスト中のベストだよね」という話になります。治安の良さ、小規模クラス、女子大という安全性、ホストファミリーの温かさ、熱心な教授陣。どれを取っても自慢の大学。

長女も次女も「子どもが生まれたら絶対Cotteyに行かせるわ」と言っているので、70代になった私、40代の娘、20代の孫で、大学を訪れて、「おばあちゃんもここに通ったんだよ」と言いながら、メインホールの前で写真を撮りたいと思います。

長生きしなくちゃね。

後輩はいつでも募集中だからね。

この記事を書いた人

yuka

管理人のユカです。
20年前に子育て支援系NPOを作り、10年前に株式会社を作りました。
モットーは「まーなんとかなる」。
とりあえず今までの人生、まぁなんとかなってます。神様ありがとう。
未来のことは分かりませんが、笑って過ごしていたいと思います。